004 坊さんでもいろいろな道
Posted in今から44年前、1962年10月に渡米した私は、バークレー仏教会で研修を受け、4カ月後には、ロサンゼルス本願寺別院に任命されました。23歳の時でした。
今は、日系人博物館になっている、その建物の3階に住み、午前中は英語の学校、午後からは別院というお寺の仕事をするのが日課となっていました。私と同じような顔をして日本語を話さない日系アメリカ人に接したのも、私の人生の中で初めての出来事で、戸惑ってしまいました。
お寺では、葬式、法事、そして事務的な仕事(書類の封筒入れなど)に追われました。そのうち、アメリカに何をしに来たのであろうと、自問自答してジレンマに陥り、情けなくなってしまったのです。
アメリカの白人社会に仏教の教えを伝えたいと意気込んでアメリカに渡ったのに、白人に出会う機会も少なく、だからといって日系アメリカ人の中でも上手に英語が通じず、自分の実力にも自信を失いかけていたのです。
必ず、日曜日のお参りには、サンバレーというお寺で英語の法話をしなくてはならず、逃げ出すところもなかったのです。まずは、日本語で法話を書き、次に英語に訳し、日系二世のアメリカ人の先輩に訂正をお願いし、テープレコーダーに法話を吹き込んでもらいました。朝起きる前にベッドの中で、そしてもう一度、夜寝る前に、酔っ払っている時でも繰り返し、繰り返し、憶えるくらいに努力しました。
日曜日が来て、子供の前に立つと緊張し、原稿を読むのが精一杯、時には、一行飛ばして読んでしまったこともありました。原稿に目を取られてしまうと、子供たちから目を離すことになり、退屈して騒ぎ出してしまう始末でした。子供は、正直で、私が日本から来た人だという考慮もなく、「I don' t understand what you are talking about」と、平気で言うし、恥ずかしくなり、情けなくなって、ますます自分自身に怒りを覚えました。
英語が好きだった私は、中学、高校、大学と学んできましたが、私の英語は、どうなったんだろうかと心細くなってしまいました。もちろん、私の実力の浅さは、反省しながらも、当時(45年前)の英語教育にも欠点があったのではないかと思いました。「春の3月マーチましょう (March待つ)」「従来(July じゅうらい) 暑き月なれど」と習ったのですが、日本語的な発音では、通じなかったのです。
文化、習慣、ライフスタイルの違い、言葉のハンデ、それにホームシックも加わり、神経質になっていったのでしょうか、とうとう車の事故を起こし、上司とケンカをしてしまい、別院というお寺を追い出されることになったのです。
仏教を学び、修行をしてきた坊さんもいろいろな道を通るんだなぁーということを書きました。安心して、今の体験に直面してくだされ。
合掌
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