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私の美術館は信州の山あい(海抜六百七十メートル)にあるので、当然ながら周辺一帯は森や林にかこまれ、そこには多種類の鳥や虫や小動物たちが生息している。いうまでもなく、そうした生き物たちは私たち人間よりずっと早くここに棲みついた先住者であり、私たちの侵犯によってその生活をおびやかされている可哀想な被害者であるともいえるだろう。
「葬式」に流行もヘチマもないような気がするのだが、最近は派手な(?)葬式や告別式が敬遠され、ほんの何人かの身内の人だけで行われ「密葬」が歓迎されているようだ。 亡くなる本人が、生前に親族に対して「密葬ですませて」と遺言するケースもふえているという。
自慢じゃないけど、私は二十歳すぎ頃から現在の六十六歳にいたるまで一どとして「借金」から解放された日はない。
だれがいい出したのかしらないが、「未病」という言葉があるそうである。「未だ病気に至らず」というか、「病気未満」「健康以前」といったところが意味だろうか。
新聞の名物コラムはべつに一面下のコラムだけとはかぎらない。 たとえば朝日新聞で詩人の大岡信さんが書かれている「折々のうた」や、また文学関係の話題を専門に取り上げている東京新聞の「大波小波」なども、永く読者を魅了してきた名物コラムといっていいだろう。わが長野県の信濃毎日新聞にも、村上護さんが担当している「けさの一句」という欄があって、毎朝一句ずつ心を洗うような名句が紹介されていて人気上昇中だ。
新聞ではたいてい一面の一番下に各社各様のコラムを連載している。いわゆる三大紙の一つである朝日新聞なら「天声人語」、毎日新聞なら「余録」、読売新聞なら「編集手帳」といったぐあいにである。
美術館を経営していて、何が悲しいかといえば、館の入り口まできた客人が「掲示板」をみただけで帰ってゆく姿をみることである。そうしたときに、客人が発する言葉の多くは「入館料とるの?」「高いからやめておこう」、次に多いのは「ツマラナそうな絵だな」「有名な画家の絵がないじゃないか」。たまたま私自身が受付にすわっているときになど、そんな言葉をきくと死んでしまいたいくらい悲しい。
近頃は歌手や俳優さんが小説を書いたり、絵を描いたりする時代である。これまでにもそうした趣味をもっている人はいたのだろうが、最近は歌手や俳優さんのなかから「芥川賞作家」や「新進画家」がどんどん輩出されている。
若者の活字離れ、本離れがさけばれて久しいが、依然として書店や出版社の恒常的な経営難はつづいているようである。私のような「本好き」「読書好き」の人間にとって、周辺から顔なじみの書店が次々と消えゆくのをみるのはさみしい。
「木曽路」ときいただけで、島崎藤村の「夜明け前」の冒頭を思い出す人も多いだろうが、何も「木曽路」は藤村文学だけで有名なわけではない。 見どころは中央本線沿線にある十指をこえる宿場町で、ざっと長野方面から数えただけでも、洗馬宿、本山宿、贄川宿、薮原宿、宮ノ越宿、福島宿、上松宿、須原宿、野尻宿、妻籠宿、三留野宿、馬籠宿…昔ながらの風情をのこす宿場町があちらこちらに点在している。